京都産業大学 生命科学部 先端生命科学科 教授 武田 洋幸 先生の研究室訪問

桜の花が満開となった2024年4月5日、京都産業大学に伺い生命科学部 先端生命科学科 教授の武田洋幸先生の研究室を訪問させていただきました。武田先生は2023年まで東京大学大学院 理学系研究科 教授を務めておられ、2023年4月より現職に就任されています。

この度の研究室訪問には23期修了生の江田健二さん、そして江田さんのお子さんの悠人さん、カメラおよび記事担当の27期修了生小笠原弘樹にて伺いました。武田先生のEMPのご講義にて小笠原がモデレーターを務めたことから訪問させていただくこととなったのですが、悠人さんが中学生とは思えないレベルで日本の淡水域水性生物の研究に情熱を燃やしていることを江田さんよりお聞きしていたので、お声がけさせていただいた次第です。

インタビューの話題は、悠人さんが特に興味をもって取り組んでいる日本の淡水魚類の分布・交雑に関することに始まり、先生のご研究、研究資金のこと、研究者を取り巻く過去・現在・未来の話題で盛り上がり、あっという間の2時間を過ごしました。

記事としては先生のお言葉を中心にコンパクトにまとめさせていただきたかったのですが、興味深い話題が盛りだくさんでコンパクトにできなかったので、胆力をもってお読みください。

自己紹介

武田先生:まずは自己紹介からしましょうか。

悠人さん:私は江田悠人です。今年中学3年生になりました。日本の淡水魚に興味があり、オイカワとカワムツという魚の分布について研究しています。西日本ではそれらの生息地は前者が川の中・下流、後者が上流と分かれていますが、東京では生息域が交わっていて交雑や生息地の争いが起きている。その状況の調査を現在やっています。

武田先生:悠人さんの研究は、具体的には分類をどのような手法で見ているの?形態?DNA?

悠人さん:水中カメラで形態をもとに個体数を確認しています。そして例えば東京都の1970年代のグラフと2020年のグラフを比較して個体数の変化を評価しています。

武田先生:私もそれすごく興味がありますよ。もう一つ進んだ研究になると、DNAを用いる方法があるね。実際一見同じでも交雑していたりするので。私の先輩にも魚の種分化や集団の棲み分けの研究をしている研究者が実はたくさんいます。交雑について少し話すと、同じ川でも上流・下流では水温、水質、植生などが異なる。だから種によって自然的に棲み分けているけれど、その境界部分で交雑が起こる。そして雑種強勢といって、一代目は雑種の方が強かったりするんだよ。でもやっぱり完全に反対側の環境にはなじまないので、棲み分けはできてきたんだね。

僕らが研究を始めた2007年にそれまで日本国内全体で同一種とされていたメダカが、形状などの違いから北側と南側で別の種、キタノメダカとミナミメダカと分けられたんですね。例えば若狭湾付近に境界が一つあって、そこでは交雑がおきて雑種がいるんだよ。だけどそれ以上北または南にはやっぱり進出できない。それはその境界でしか生きられないような雑種が生まれているということで、完全にそれぞれの生態系には適用できてないということなんですね。いろんな環境の要因がきっとあるのでしょう。一つじゃないと思いますが、温暖化などによってその境界が移ってくることは今後考えられますね。あと、それを破壊するのが外来種で。どこでも生きられるような外来種が入ってきたら、もう完全にその環境は崩壊してしまいますよね。

江田さん:江田健二と申します。RAUL株式会社の代表として、環境とエネルギーのコンサルティングの傍ら環境・エネルギーに関する執筆・講演活動を行っています。息子が、それこそ毎週のように川に行って生物を観察していることを小笠原さんに話したところ、今回の武田先生の研究室訪問に同行させていただくことになりました。本日はよろしくお願いいたします。

小笠原:大学時代にウミガメ・エイの視覚に関する研究をしていました。日本臓器製薬株式会社に務めながらEMPを受講させていただき、修了した年に画家に転身して現在に至ります。どの環境にいたときも生物の生命力・美しさにとても興味を持っており、武田先生の「胚はARTだ」というお言葉に強く共感しています。本日はよろしくお願いいたします。

武田先生:みなさんよろしくお願いします。

 

転籍の経緯とご研究の専門分野について

小笠原:早速ですが、武田先生はどのような経緯で京都産業大学にお移りになったのかということと、なぜ魚類の卵を使って研究をなさっているのかを教えていただけますか?

武田先生:東大での65歳の定年前に、さらなる研究の場を求めていたところ、京都産業大学でポストを得ることができて、2023年3月時点で退職を1年早めて移籍しました。スペースは前の1/3から1/2程度になっています。縮小する形で研究室をここに移動したのですが、生物の飼育と移動を伴う研究室の移し替え作業にはとても大変な労力を必要としました。この1年間は、ほとんど東京と京都の掛け持ちで、今年から完全に京都産業大学での研究・教育に専念できるようになりました。ですから28期を最後に東大EMPでの施設見学はできなくなりましたね。

主な研究分野は発生生物学です。我々の体もそうですが、なぜたった一個の卵から何兆個という細胞でつくられるからだができるのかという疑問がまだ完全に解けてないんです。この「生命の神秘」への探求心が研究を続ける理由です。

研究には、ゼブラフィッシュやメダカを使用しています。これらの小型魚類は、受精後すぐに発生が進むため、発生過程を詳細に観察するのに適しています。特に、鮭のイクラみたいに魚類の卵は一般に透明で、発生の初期段階が容易に観察できるので、マウスなどと違って親を殺さないでもよいことや、短期間で大量の卵を得られて世代交代も数ヶ月単位ですから、遺伝的操作や発生異常の研究を迅速に進められる。

これらの理由と私の趣旨が合致したということで、近くの熱帯魚屋に行ってゼブラフィッシュを買ってきたのが30数年前。私の原点ということになりますね。

では魚を使って何をやるのか。私が興味を持っているのはボディプランといって、発生の初期で頭尾軸、背腹軸、左右軸が別れてという段階なのですが、実は魚も鶏もカエルも我々人と同じ脊椎動物で、発生の過程はあるところまでは基本的にほとんど同じメカニズムなんです。発生のボトルネックと言われる発生段階が存在していて、その時の胚の形態たけでは専門の研究者でもどの動物か見分けがつきません。ですからその段階でわかった遺伝的、分子的な事実は、人に対しても何の修正もなく直接応用できるんです。

小笠原:先生は講義のおりに胚はアートだとおっしゃったじゃないですか?アートに見える根源的な理由は何ですか?

武田先生:生命力が詰まった美しさですよね。しかも溜まることなくダイナミックに形を作ろうともがいている。その様がものすごく美しく見えるんです。

小笠原:生命力が詰まっていると言えば、発生のボトルネックはなぜ存在するのでしょうか。

武田先生:発生過程のボトルネックという段階は、各器官が適切に配置されて機能するための最初の基本形ができる時期。極めて調和の取れた状態だと思います。例えば鶏だったら大きな殻の中に水を入れて栄養を入れて育てなきゃいけないし、魚だったらすぐに流れていくような小さな卵にしなきゃいけないし、一方哺乳類だったら、もう体の中でゆっくり育てるので、卵黄がなくちいさな卵だと。それぞれの環境によってボトルネックに行き着くまでの状態は異なるんです。我々ならば羊水、魚なら海水であったり、その段階では全ての脊椎動物が水の中にいるわけです。基本形を堅持して、そしてそこから進化してきた証拠です。つまり、ずっと昔に作られた最も基本的な形を乱したら生きていけなかったんだと思います。

進化については、クリアな説明はサイエンティストでもなかなか難しい部分だと思います。でも感覚としてそういうふうに思っています。

 

研究予算の実態(研究者を取り巻く歴史的背景と社会情勢)

武田先生:ここまでで何か質問はありますか?

悠人さん:研究用の予算は大学側から出ているのですか。

武田先生:今の我々の研究スタイルは大学からもらう予算は極めてミニマムです。東大の研究室は恵まれているのですが、研究室全体で年間200から300万円ぐらいの運営費をいただいていました。しかしその10倍以上の研究費がないと、研究室や飼育施設を維持できないんです。ですから国に申請して認められ、予算を獲得することになります。その予算は研究に関わる水槽や機器類の維持・更新、そして人件費に使います。研究に使用する顕微鏡だって、一台で3−4千万円、高価な機器は1億円ぐらいするんです。東大にいた頃は2000個ぐらいの水槽が並んでいたのですが、3人ぐらいの技術職員の方を飼育施設の維持に雇用していました。また、研究を進める研究員の雇用も必要です。大きな研究になればグループで研究しますね。

小笠原:機器も高額ですが、人件費の割合が大きいですか?

武田先生:そうですね。研究の規模が大きくなるとそもそも一人じゃできません。ポスドクへの報酬も必要ですし、大学院生の生活費も一人200から300万円ぐらいはだしています。

江田さん:それで300万円の運営費とのギャップ分を埋めるって相当辛いですよね。

武田先生:その通りですね。ここに移ってからは、ぐっと縮小してスモールサイエンスをやろうと思っています。スタートスモールでうまく回り始めるとグロービックになっていく。様々なレベルがあるんです。しかし逆に言うと一回大きくなっちゃうと予算をとり続けないといけない。それはものすごく辛いんですよね。だから、50歳ぐらいからは自分で手を動かすことができなくなります。主な仕事は教育もありますが、研究費を取ってくることになる。そのために情報を仕入れ、どういうプロジェクトを立てて、誰と共同して出すかとか、そういうようなことが研究者人生の後半には回ってくる。

江田さん:雇った研究員もいるわけですからね。

武田先生:そうですね。実は僕の友人が国立科学博物館の館長をやっていて、昨年電気代が3割くらい上がったのに予算がつかなくて。いよいよ人件費まで削らなければいけない状況になったんです。世界の宝を、人類の宝を維持することがままならなくなったわけです。そこでクラウドファンディングで資金を募って。最初は1億円も集まれば御の字だと思っていたんですが。蓋を開けたら8億円近く集まって。

江田さん:しかし、国立科学博物館ともあろう施設が、そもそもの運営に対する資金を募らなければならなかったということは大丈夫なんでしょうかね?

武田先生:国が手当すべきところだったかもしれませんね。円安によるエネルギー高騰ですからね。

小笠原:近年美術品にトマトスープを投げつけるなどの環境団体によるデモ行為というのが見受けられます。保護・保存にはコストがかかるので、その対象を疑問視するような動きだとおもいます。一方でこのように多くの人が資金を拠出する動きもある。何かを保護・保存して行くということについて、人類にはどのような意義があると思われますか?

武田先生:保護というよりも継承でしょうか。美術品も人類にとっての宝であって。今の代で滅んだら断絶してしまって終わりですから、継承して行かなければならない。環境も然りですが、宝というのはたくさんあるわけですね。研究も同じ。人類の財産ですからね。途絶えてしまえば、知識が霧散してしまう。大学はそういったことを継承するという機能も備えているわけです。

江田さん:ちなみに悠人さんはどうして予算の話を?

悠人さん:よくネットとかでポスドクが貧乏というか、あまりお金がもらえないイメージがあって。

武田先生:昔の時代からすれば最近は少しずつ変わってきていますよ。それから若い人に言いたいのは、今は研究者になるチャンスです。かつて高度成長期後の低迷期に研究職のポストが少ない状態にもかかわらず、任期付き(有期雇用の)のポスドクの数をものすごく増やしたんです。すると研究が面白いこともあって、研究職を続けたいと思う傾向がある一方、ポストは増えなかった。そこでみんなあぶれてしまう状況が、10年、20年続いた。そもそもあまりサイエンスに対して温かくない、経済重視みたいな社会的なムードと相まって、先輩となる若手研究者の悲惨な状況を目の当たりにして、次に世代の若い人が研究へ来なくなった。すると大学での研究レベルが下がるのですが、先生は先生で相変わらずいろんなデューティーが増えてきて、説明責任も増えて。結果的に日本の研究力が下がってしまっている。最近よく聞くと思うんです。とうとうイランに論文数で抜かれ、もちろんとうの昔に中国に抜かれいて、先進国の中でも一番下ぐらいになってしまっている。

小笠原:怖いですね。知識と技術の日本。そこが抜けてきている。

武田先生:そう。今空洞化しているんです。そこで、様々な対策の一つとして、公的資金や研究費から、大学院生の生活費の支払いや雇用などの学生に対する支援が行われるようになっています。なるべく若い人をエンカレッジしてポストまでつなげるっていうことですね。かなり時間がかかりましたが、国が腰を上げたわけです。だから若い人にとって今が研究者になるチャンスです。きちんと研究して成果を出せば食いっぱぐれることはありません。

一方で、迎え入れる我々の喫緊の問題は、すぐ次の後継者がいない状況なんです。日本は世界的に給料が安い国になってしまったので、海外から優秀な研究者に来てもらうことも難しい。僕の同僚は同じくらいの業績でもハーバードで4〜5倍の給料をもらっています。今ではアジアだって給与は高くなっています。これで人材交流を実現することはとても難しいですよね。さらに研究者のことだけでなく、試薬だって機材だって大部分は海外から購入するので、円安の打撃は大きいですね。

小笠原:企業が海外に拠点を設けるにも、人件費が大変だと聞きますね。円安の話題がありましたが、海外の試薬を使う理由は、試薬の質か、ワールドスタンダードの研究と同じ環境を作るためなのか、理由はありますか?

武田先生:日本にも良いものはあります。しかし日本の試薬業者やベンチャーは市場として日本しか見ていなかったんですね。やはり海外は全世界で売ることを前提にやっているので、いろんな特許をとられてしまっているんですよ。アメリカは、ライフサイエンスには市場性があるとずっと前に気づいおり、30年ぐらい前からすごい予算を投入し、特許戦略を作っていたんです。どこの業界もそういった縮図になっているんです。

今日本としては大企業に配慮して円安を誘導せざるを得ないのですが、国全体はそのために貧乏になってしまっていますね。物価の安さは嬉しい反面、日本に来る海外の観光客の感覚は、30−40年前に日本人が東南アジアに旅行していた頃の感覚かもしれません。

小笠原:様々な要素が絡み合って、現在の日本の研究者を取り巻く環境が変化していっているのですね。

武田先生:だから、今、国がもう一回若い人を育てることに注力し始めている。重要なのは先輩の世代が厳しい環境だったかもしれないが、それを気に留めないことですかね。これからの若い人にとって。

江田さん:気に留めないこと。ある意味、そう言ったイメージが若い人に浸透しすぎているのかもしれませんね。企業としても年齢差や人件費の問題から博士人材は採用しにくかったのですが、今は確かにそこが変わってきたと聞きます。

武田先生:報道機関が危機感を持って報道すると、かえってネガティブなエフェクトが大きいように感じます。東大でもかつては8割方博士課程まで行ったのですが、今は4割。京都大学でも今は3割ぐらいしかいないと聞きました。研究で自己実現できる人は一定数残ってくれるのですが、やはりバランス感・社会とのコニュニケーション力がある人材はだいたい企業に出ていってしまう。さらには海外に行ってしまう人もいます。

小笠原:ちなみに両方で活躍できる人材が社会に出て行ってしまうということですが、研究の場という点でアカデミアが担保してきたのは、研究の質、そして熱量といいますか、純粋さのような気がするんです。しかし近年では研究に没頭できるような場を提供する企業も出てきていると思います。国というか大学も含め社会全体としてそういった場が増えていくことに期待されていますか?

武田先生:はい。ただ歴史を考えると、工学系の例えば日立の中央研究所とか、東芝もそうだし、大手企業の研究所は結構大学のような雰囲気があったときいています。そこでシーズを見つけてください、みたいな形で予算をつけてね。そうすると企業の資金力があって、大学よりずっといい環境で、いい分析機器を使ってできるので、修士を出たら企業の中央研究所で研究を続けるっていう流れもあったんです。実際民間企業からもどんどんすごい論文出たりしていたんですよ。しかしバブルが弾けてから外国資本が日本企業の株を買うようになると、株主がそれを許さない。外国では企業は研究をM&Aで買うのが普通ですからね。そんな流れで中央研究所がどんどん閉鎖になっていったわけです。外国はベンチャーがたくさんあるから成り立っていたんですね。

江田さん:株主にとっては。短期五年ぐらいを考えたらコストセンターに見えてしまうのですね。

武田先生:そうなるとそれこそ、基礎研究は国と大学でやらなければならなくなるのですが、国の財政がひっ迫したため研究費も十分でなく、大学の環境にも問題があって、それも含めて国の科学技術が落ちてしまったと思います。だから最近、技術とか科学には本当に時間がかかることが浸透してきていて、企業だって新しいことやるために博士人材を必要とし始めた。自由度を持てる研究環境が結局は最大のリターンをもたらすということを理解している企業もあるので、そういうところでは、大学と同じようにできる可能性があると思います。

だからこそ今研究者を目指すことはチャンスです。研究者はこれからさらに社会から求められるし、企業としても人材の海外流出を避けなければなりませんからね。海外は普通の商社の社員がみんな学位を持っていて、名刺にドクターって書いている人たちがプロジェクトの交渉をする。日本もグローバルに展開するために、やっぱりもう一回社会制度を見直して、博士課程にも充実した人が来て、学位取得後のキャリアもしっかり考えましょうという機運になってきているわけです。

小笠原:確かに、Ph.D.と書いてある名刺には憧れますが、日本の会社の中ではあまり認識されていないように思います。今変わってきているのであれば嬉しいことですね。これからの若い研究者は実際にその場にいて、その時代を作っていく役割もあるわけですね。

武田先生:そうそう、経済のシュリンクは近年表出してきたけれど、現場レベルでは20年ぐらい前から大きな差を感じていました。海外出張のホテル代が一泊2万円ぐらいしか支給されないのに、空港周辺のビジネスホテルでも4万円以上なんてざらなことが前から起こっていました。アメリカとかヨーロッパへ人材を日本の援助で送り出そうにも、国の規定では先方の最低レベルの雇用費にも達しないっていうことが頻発していました(補足:受け入れ先が給与を補填しなければならず、優秀でも敬遠される場合がある)。

やはりここから再生しないとダメなんです。ただ、研究者は頭良いだけじゃなくて、しつこさやあくなき探求心が必要になります。その楽しみがないとやっぱりつらい商売ではありますね。悠人さんにもそういった感覚が生まれてくるようになったら、ぜひ博士をめざしてほしい。

小笠原:悠人さんの探究心はすでに折り紙つきです。昨日も岡山までいってね。

悠人さん:岡山でガサガサをしてきました。1箇所での予定でしたが、4箇所も回ってタナゴ類や東京で見られないドジョウを採集できました。

武田先生:どうして魚好きになったの?私も魚が好きだったから、中学時代は釣った魚をたくさん飼ってた。

悠人さん:昔から水族館に行く機会が多くて、そこでどんどん興味を持ち出しました。淡水魚に本格的にのめり込んだのは中学に入った頃です。そして部活とかで知識も増えて、今取り組んでいる国内外来種のことも中学一年の後半から始めました。

武田先生:そういうところから興味を持ち始めたんだね。魚に関する実験系はいまではどんどん進んできていて、本当に最先端の分子生物学、ゲノム科学まで研究できるので、実は一生魚を使い続けて成果があげられる。僕も35年前から魚と一緒にいます。ぜひね頑張ってください。

施設見学

ここに並ぶ水槽は東大時代と比べると3分の1ほどとのこと。それでも数百を超え、生体数は約5000匹。東京からは、新幹線や自家用車でコツコツと運ばれたそうです。大変!

水温は28度、光は14時間点灯・10時間消灯で真夏の環境を再現することで、ゼブラフィッシュ・メダカともに活発に産卵を行ってくれます。

水槽は全てが掛け流しの循環式になっていて、循環の過程で濾過やUV殺菌が行われます。移設後水質の違いへの対応が大変だったとのこと。一旦純水を作って、水槽全体をモニタリングしながら人工海水でマグネシウムやカルシウム、ナトリウムなどのミネラルを足して水質を整えておられるそうです。「卵の時からその水で育てないとダメなんですね」との先生の言葉に故郷を思う小笠原でした。

もちろん遺伝子の研究なので、普段からカルタヘナ法への対応や、生体の流出を防ぐための何重ものトラップなども備えられています。今後遺伝子のさらなる厳密な管理のためにバーコードの導入も考えているとのこと。

顕微鏡で見せていただいたのは孵化直前のメダカの卵。約1週間でこのような状態になります。約1mmといっても発生生物学者にとってはとても大きい観察対象とのこと。

ここで江田さんから研究者の資質についての質問。武田先生は「習熟も必要だが、試薬の使用一つにもレシピに書いていないセンスが存在している。そして、なにより魚を飼うのが好きな事。毎日観察、実験をよく考えて取り組む姿勢がある人は成果を出しやすい」と。

次に研究機器が並ぶ部屋へ。研究室立ち上げには多大な費用がかかりますが、現在では自身の研究費で購入した機器は公立大学から私立大学への移管もできるようになったとのこと。それでも最先端の研究には最新の機器を必要とするため、更新は常に行われています。京都産業大学では、共通機器室や研究用哺乳類の飼育場もあり、感染症の研究も可能な施設が備わっているとのことでした。

施設見学を終えて、出してくださったお茶の器にはメダカの柄が。武田先生は「じつはこの器もメダカ。僕も魚が好きでね。何でも魚なんです」とのこと。

武田先生が委員をお勤めの発生生物学学会が50周年の時に発行した印刷物。科博での特別展は大変盛況だったとのことです。また、先生の研究室が東大の広報誌に取り上げられた淡青の記事はこちらからご覧いただけます。

https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400005315.pdf

 

質疑応答

小笠原:ありがとうございます。最後に数点質問をさせてください。

・これからの大学生に何を期待されますか?

武田先生:僕はやっぱりサイエンティストなので、サイエンスをやってほしい。しかも、探究心に根ざしたサイエンス。そしてできれば最終的にグローバルに活躍してほしい。これまで日本の研究の現場にあった雰囲気を心地よく感じるような感覚を打ち破ってほしいと思います。その反面、日本の良さも理解してほしい。両方です(補足:人材を育てるという意識が強いことなどが良い点)。

・その大学生を育むために、どのような社会を目指すべきでしょうか?

武田先生:やはり日本は科学の伝統も浅いので、科学・学術に対するリスペクトに欠けてるのでは、と感じることがあります。もう少し理解やリスペクトを持ってもらう社会になってほしいと思います。研究を突き詰めた成果が、実は社会に役立っているわけで、目に見えるものだけではなく科学者と市民がお互いに分かり合えるような社会になったらいいなと思います。それの前提として、科学は人類の活動のかなり崇高なものを秘めている活動であることも。美術品と同様にぜひ鑑賞して味わってもらいたいし、大事にしてもらいたいなと。それがこれからを担う若い研究者を育む環境に不可欠であると思います。

・若い研究者を育む現場の最前線で、先生は研究室を管理する側に回られているわけですが、一人のサイエンティストとして、これからの目標はありますか?

武田先生:65歳で研究をやめる人も多いのですが、私はやればやるほど、解きたいクエスチョンが増えて、まだクエスチョンだらけなんです。研究者人生を終える前に、もう一つでも二つでも、そのクエスチョンに答えられるような研究をしてみたいと。それは結果的には人類のためになると信じているんです。そして私は自然を本当にリスペクトしています。自然はとても奥深いので、クエスチョンが尽きることはありません。

小笠原:問い続ける姿勢ですね。

江田さん:70歳までは京都府立大学でご研究をなさるのですよね。この後も海外を含めどこかで研究をなさるかもしれませんね。

武田先生:海外であれば、ずっと成果を出し続けて、プロジェクトで使う研究費が続く限りは研究ができますからね。だから本当に高齢の研究者はもう90歳とか。でも私、日本が好きですし、最後は日本にいたいと思うんです。いま単身赴任で週末は関東に戻りますが、京都に住むってことにも本当幸せを感じています。観光をするという意味ではなくて。僕はこの大学から割と近く、上賀茂神社の近くに住んでいるんですけど、ずっと昔ながらの街並みが残っている静かな場所です。

全員:本日はありがとうございました。

武田先生:悠人さんとももうちょっと大きくなったらまたお話しましょう。高校生になったら生物などの研究で僕の研究に少し近づくかもしれない。

 

この度の研究室訪問を経て、数十年前という長いスパンで様々な社会の要素が絡み合って今の研究者が存在する環境ができてきたということを強く感じました。後日の武田先生からのメールには「悠人さんが研究者を目指せる社会を作っていきましょうね」との一言がありました。

インディアンの「七世代先を考えよ」、そんな話を思い出したのはEMPでの学びのおかげでしょう。

今後の日本をどのような状態で次の世代に引き継いていけるか、社会の一員として無責任・無関心ではいられないと改めて思う機会となりました。


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